Last Update : 2017/01/07    1st update:Jan.15th,1997                         today:



Do it myself , 自力リノベ中 2015~2017

ついに三年目にずれこみKintaGoya2015 project】

住まいのホームドクター

 OokWood  おお木まさみ 建築デザイン工房
大木設計 一級建築士事務所
〒252-0304 
相模大野SOHO(2015~)
(NPO)木の建築フォラム民家再生塾  (創立会員)(休会中)
(NPO)日本民家再生リサイクル協会  (創立会員)(休会中)


今も永遠の「駆け出し時代」・・「恥ずかしすぎる」作品群が、今どんどん壊されていく時代。。 その最後に、この個人建て主様様たちが壊されてしまう 我が家を離れるに当たって、「あの予算で時代のクォリティを超えた住まいを考えてくれて本当に感謝している」という最後の総括の言葉をいただけるクリエイター冥利。。、(社交辞令いまさら必要ない)その言葉をいただいてるだけで、まだまだ苦労つづける気燃える(^^/

◆ぼちぼち思いだしたように「誰か後から来る同じ道を歩もうとする者たち」への参考になるだろ資料として公開していく気(^^ 

社会ボランティア活動成果アピールばかりでなく(笑


INDEX


2013-2016 県道「町田-厚木線」拡幅工事計画、バリアフリー徹底化提言

相模原の道路を考える会

2013 みんなで考えよう木造校舎 (愛川町半原小学校・旧木造校舎

Sample Case1: 中古建売住宅・耐震リフォーム (予算1千万円原案)

相模原市都市みらい研究所 市民研究員 2003-2004 委嘱研究

バリアフリー道路の研究
「バリアフリーに直らなかった道路の実態と評価、原因調査研究 (相模原市の道路行政)」 
市民研究員 研究レポート
 

Citizen Contribution again
バリアフリー道路の研究(2)「小田急相模原二ツ塚線(東 海相模高校通り)」近日reportアップ


Profile & History : OokWood  おおきまさみ Architect  

Works List(主要作品リスト 2004現在旧版)PDF

Love River Town 
  環境・町並み・民 家再生 Workshop
 古民家 研究・調査 アーカイブ
2001~2002/緊急参加 厚 木の古民家を保存・活用するボランティア活動
(現場スナップ)
2001~2002/緊急活動 木造校舎の 保存・活用をめざして
(現場スナップ)

2001~ 環境エコライフProject '2001' 
中津川(の自然をまもる環境)トラスト=河川敷(民地)移住プロジェクト

(現場スナップ)

関連リンク:
 (NPO) 木の建築フォラム/古民家再生「降幡」塾
フォー ラム“あいかわ遺産”
(Love River Town エコミュージアム研究会準備事務局・仮)

関連リンク:
ふるさとの自然を次代に(あいかわ 自然ネットワーク事務局;おお木悦子)
相模原市東林間~相南地区幹線
  「歩道改善」市民ネットワーク & アクション
狭あい道路"(幅員4M以下)の「セット バック」
  /住民による住民 の為の活用例・提案
小田急相模原駅北口(座間市・街区)再開 発事業案
 に先立つ /民間進行project &ハイタッチ提案
座間市旧街 道・町並み文化再発見・継承発展提言
   

(付録)

♪下手の横好き趣味 Kinta(- -)。o○ Music Life  

You Tube 公開(^^
♪ Aranjuezアランフェス
 Sunflower ひまわり 愛燦燦


廃屋再生・民家再生 
 第一 作 ”金太小屋 kintagoya” アーカイヴ1997(まんま)

& プロローグ Early 金太小屋



 Ookies Family

 



 

番 外リンク集 (@ランダム 随時追加)

 
「建 築」に関わる者へのお薦め論文 LINK
by 神谷武夫

No.1


  日本語の『建築』 という言葉は『アーキテクチュア』という意味にも用いられるが、一般的にはむしろ「ビルディング」の意味で、あるい は動詞の「コンストラクト」 (建設する) の意味で用いられている・・・

 では、『アーキテクチュア』と『建 築』とのこのような違いはなぜ生じたのであろうか。 『建築』という言葉は、「古語辞典」を引いてもそこに載っ ていないことから解るように、古くから日本にあった言葉ではない。 江戸時代末期から明治時代の初めに新しく作 られた言葉である。 

 わが国がそれまでの鎖国を解いて、西洋の文物を受け入れ始めたときに、時の指導者や学者たちが最も頭を悩ませ たのは、それまでの日本にはなかった概念を輸入するときの、訳語の問題ではなかったろうか。 それは単に言葉の 問題であるばかりでなく、言葉をとおして、文化の制度を輸入するということだったからである。 手持ちの和語や 漢語をむりやり当てはめるだけではとても対応しきれずに、しばしば新しい言葉を造語する必要にもかられた。  言ってみれば、これは単なる「言葉の翻訳」を越えた 「文化の翻訳」 という問題でもあった。 
 
 「哲学」 にしろ「科学」にしろ「芸術」にしろ、いずれも西洋文化を翻訳するために明治時代に造語された言葉である。  「社会」はおろか、「恋愛」とか 「彼女」 までもその当時の造語であると聞いたら、意外に思われるであろうか。 

 ・・・『アーキテクチュア』 は、明治の初めには主に「造家学」と訳されていた。 それに異議を唱えて『建築』という訳語を確立したのが、大 建築家であり、優れた建築史家でもあった伊東忠太である、ということはよく知られている。 多くの場合、それは 彼の名誉として語られるのであるが、ここでは、それを彼の大いなる失敗であった、と言わねばならない。 それを 詳しくみる前にまず、『アーキテクチュア』という言葉が本来どんな意味であるのかを確かめておこ う。 

(本論へ)

 

「建築」に関わる心構えの、ピュアな初心を 改めて喚起させられる名論文。

「ソフトはハードのおまけ」通念の社会へ船出 する後続者必読の基礎知識。
 


■ 家を建てるあなた、建てない 私 (糸井 重里-隈研吾-服部真澄)対 談

歴史的建物の英知に学ぼ う 西尾雅敏

 青春18切符 家族旅行記 1997 (ネット黎明期サーバーにいまだ現存集) :宮島厳島神社1997


スナップ 写真

 



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